藤城清治 光と影の世界展

美しい絵や写真を見ると、

  気分が落ちついたり、

 気持ちをリセットできたり、

 憧憬の念を抱いたり…


現実から遠い彼方にある別世界へと誘ってくれるような気がする。

影絵で有名な藤城清治氏の作品は、わたしの気分をいつでもそんな
心地よいものにしてくれる。

わたしは、藤城作品の芸術としての価値やレベルは全くわからないが、
ヒトの心を打つ何かを強く感じるのは…

 人の感覚を刺激する鮮やかな色?

 美しい光と影の巧みな表現?

 安定した構図?

 植物や水、魚、動物など生物として根元的な繋がりを感じるモチーフ?

 あるいは、かわいい小びと?…

昨日、京都文化博物館で開催中の

 「藤城清治 光と影の世界展」

を観てきた。

これまでに何度も藤城氏の作品展を観てきたが、その多くが作品を
「売る」ための商業主義的色彩が濃いものだった。

しかし、今回は、

作品数、展示方法、観客の数…

どれをとっても、見応えのある素晴らしいもの。

老若男女を問わない幅広いファン層が、藤城作品が誰にも普遍的な
「何か」を感じさせてくれることを物語っているのではないかと思う。

新年の誓い

大晦日に大掃除。
長時間の無理な姿勢が悪かったのか、腰を痛めてしまった。

新年は、昨秋買ったばかりのカメラで初日の出を撮ろうと、
新たな撮影場所まで入念にチェックしていたのに・・・

わたしの場合、いつも気負いが過ぎるのか、何事も自然体で
望まないとうまくいかないことが多い。

「がんばるぞ!」と心に誓ってモノゴトを始めることは、否定的
な結果を暗示してしまうことになるのだ。

だから、今年も新年の誓いは・・・ Let it be!

弥勒の浄土

土曜日、妻と娘が外出し、家で母と二人になった。
いつものように、母が笠置温泉に連れて行ってほしいと言った。
先週、紅葉の撮影に笠置山を訪れたばかりであったが、時間もあった
ので温泉に入る前に笠置寺へ行ってみようと提案してみた。

実は、十年程前に母、妻とともに三人で笠置寺へ向け登山を試みた。
急斜面が続く登山道は、年寄りには相当きつく、途中で諦めた。
それ以来、腰痛に苦しんだ母は、毎週、山麓の笠置温泉に通い続けた。
温泉のおかげかどうか定かでないが、徐々に腰痛も回復し、母はすっか
りこの温泉のファンになった。
しかし、この十年間、山上の笠置寺を訪れることはなかった。

山上近くの駐車場に車を置き、坂道をあがっていくと、平坦とは言えない
でこぼこの階段が見えた。
八十歳を過ぎた年寄りには、ちょっときついかな、と思った。

わたし:無理せんと(無理しないで)戻ろか?

母 :せっかくここまで来たんやし、行ってみたい。
   お守りも、こうて(買って)帰りたいわ。

母は、かまわず進みだしたが、どうも足もとがおぼつかない。
見かねて母の手を取り、一段一段ゆっくりと昇りはじめた。

山門をくぐり、拝観料は私のぶんまで母が納めた。
二人でいる時は、五十歳近いオッさんも子ども扱い。
いつものことだ。

見る者に神秘を感じさせる巨大な花崗岩の数々。
巨岩を中心に信仰の山となったことが、ごく自然だと思える。

母も、山上に積み重なるこの巨岩に圧倒されたらしく、数珠を取り出して
拝みはじめた。

日暮れの時間も迫り、身体も冷えてきたので、
ご本尊の弥勒磨崖仏(みろくまがいぶつ)の前でこれからどうしたものか
と思案していると、和尚さんらしき方が、走るように近づいてこられた。

  境内をひととおり回ると30分はかかる
  今からだと脇にある階段を下りていったところにおられる
  虚空蔵磨崖仏(こくうぞうまがいぶつ)をご覧になられたら、

と助言してくださった。

言われるがままに、階段を下りると先ほどの弥勒菩薩に近い大きさの
虚空蔵菩薩の姿が目に入った。

菩薩の目の前まで行き、合掌してその日のお参りを終了。

もう少し暖かくなったら、境内をゆっくり散策しに再び母と訪れたい。
次回は、お守りを買うのを忘れないようにしないと。

知ってほしくない真実

小学生になった娘が、最近、遊園地のプリキュアショーや
マスコットキャラクターの着ぐるみに疑いをもち始めた。

小学校で友達がネタばらししているのかもしれないが、娘
本人は、まだ信じたいらしく、

わたしはプリキュアのキュアアクアになりたい!

でも、あんなものが本当にいるのかなぁ?

ミッキーやシンデレラに会いにディズニーランドに行きたい!

でも、人形の中にヒトが入ってるだけなのかなぁ?

と、「信じたい」気持ちと「疑い」の気持ちが交錯し、心の中
で葛藤しているらしい。

先日も車の中で、

娘  :ひこにゃんは、なかにヒトがはいってるの?

わたし:エッ・・・・ヒト?
    ちっ・ちがうでしょ!
    あれは大きいネコがカブト被ってお化粧してるんとちがう?

娘  :アッ・・・そうなの?
    フゥ~ン

納得したような・・・してないような?

もう少し夢を持っていて欲しいと思うが・・・

少なくともサンタクロースだけは信じていてほしい・・・

真実を知る前に「ポーラー・エクスプレス」でも見せてやろうと
思っている。

しだれ桜

家族で京都の円山(まるやま)公園へ出かけた。

ここのしだれ桜を最近テレビで見たらしい娘のリクエストに応えた。

土曜日、満開、快晴、と三拍子揃った絶好のタイミング。
相当の人出が予想されたので、娘にも早めに起きてもらい、JR、
京阪電車を乗り継いで9時半に、現地に到着した。
徹夜で花見の場所取りをしていたらしい人たちが、まだ、青いビニ
ールシートの上で毛布にくるまっている。
さすがにこの時間だとゆっくり花見を楽しめる。

  ゆく河の流れは絶えずして しかも もとの水にあらず
  淀みに浮かぶうたかたは かつ消え かつ結びて 久し
  くとどまりたる例なし・・・

桜も同じ。
咲いたかと思うとすぐに散り、次の年の桜の花は、同じように見えても別の花。

その一瞬の時間を楽しむことに無上の喜びを感じる現代の日本人の花見は、
鴨長明と同様、「無常」を知っての文化なのか、
知らずに浮かれているだけの薄っぺらな文化なのか。

後者だとしても、別に悪くない。

桜は、
明日には散るであろうそのはかない一瞬を、ヒトが仲間と一緒に共有する
 「場=社会」
を提供してくている。

少し歩き疲れ、家族3人でベンチに腰掛けている間、隣のベンチでわたしと
同年代の男性が、コンビニで買ってきたカップ酒を開け、真空パックの佃煮
の袋に箸をつっこんでいた。

彼はひとりではあるが、また、見知らぬ人たちと、そのはかない一瞬を共有
したくて、わざわざヒトで溢れかえるしだれ桜の前に座っていたに違いない。

Photo

日替わり超目玉品ゲット!

「こんな時間じゃぁ、たぶん無理!」
と、妻におどされながらも、今朝8時に家を出発。

「駐車場のゲートが開いてるかな?」と心配しながら、
ダメだったら・・・
  向かいのホームセンターは、少し早めに開店するハズ・・
そこがダメなら・・・
  少し離れてるけど、レストランの駐車場に・・・
そこもダメなら・・・
  ショッピングセンターの駐車場の入口で車で待つか・・・

と、アレコレ考えながら車を走らせたものの、それは徒労に終わった。

開店1時間半前の駐車場には、すんなり入ることができた。

そして・・・
そのショッピングセンターの入口には、人だかりの行列
・・・のはずが・・・並んでいたのは若者と中年男性の二人。
若者は、携帯チェアに座って電化製品のカタログを見ている。

整理券配付まで1時間・・・

とにかく、「限定5台」のDVDレコーダーの1台が格安で手に入る
ことが確実となり、
 「早起きした甲斐があった!」
と、ひとりほくそ笑む。

寒風吹き荒ぶ巨大店舗の入口で、風で頁が煽られるのを必死におさえ
ながら、持ってきた本を読む。

手が悴(かじか)んで痛い。
本を読むのを諦め、本はコートの胸のポケットに、
             手はコートの脇のポケットに。

手持ち無沙汰で看板に目をやった。
「整理券配付」の大きな文字の下には、小さな文字でぎっしり注意書き。

  それを読みながら・・・
   整理券は一人1枚か・・・当然やろうな。

   整理券は本日12時まで有効・・・まあ、そんなもんか。

   小学生未満の子どもは整理券はもらえない・・・
    ・・ってことは、幼児には「人権を認めない」ってことか・・・
     これは人権問題に発展する可能性もあるな・・・ウンウン

      整理券は、「福岡の5店」でのみ通用・・・フゥ~ン・・・
    ・・なにっ? ふ・く・お・か・?

ここは、京都である。
福岡まで商品を取りに行くには、
  JR奈良線で京都駅まで行き、「のぞみ」に乗るか・・・
    伊丹まで車を飛ばし、飛行機に乗るか・・・
いずれにしても、12時には間に合わないことは確実である。

もし、店員にお願いして、あと2~3時間の猶予が得られたとしても、
往復の交通費を考えると・・・・
いつも売っている値段より少し高くついてしまう・・・
せっかく早起きして・・・
寒い中、我慢して並んでるのに・・・
どうしよう・・・

・・・待てよ? そういえば、ベスト電器のの本店は福岡だったっけ・・
   こんな看板まで使い回し?
   エコか・・・ウン、良いことだが・・・中身見て修正しとかなきゃな・・

と、いつものようにアホな考えが頭の中から泉のよう吹き出してくるのを
ひとり楽しんでいると・・・

ベスト電器の店員がやってきた。
 「おはようございます~!」
 「寒いですね~。これお使いください!」
と、並んでいた4人にホカロンを配ってくれる。

いよいよあと10分で整理券配付。

駆け込みで並ぶヒトが多いのかな・・・?

そして、その時がやってきた。

 一番のヒトは、「電動シュレッダー」
 二番のヒトは、「東芝DVDレコーダー」
 三番のわたしも、「東芝DVDレコーダー」
 四番のヒトは、「エアコン」

今日の行列は以上。

それぞれ限定5台だから、店は十分すぎる商品を用意してくれていたわけだ・・
感心、感心。

みんながとってもハッピーなお買い物。

使用中のレコーダー故障がもたらした「試練」と「幸福」

思い出に残る朝であった。

尊敬する人

関係団体が主催する経営セミナーに参加した。
講師が、十数年前にお世話になったことのある会社の会長だったので、
聴いてみたいと思って参加した。

いくつか質問したいこともあったので、セミナー後に開かれる講師を交え
た茶話会にも参加しようと席を立ちかけた時、誰かがわたしの肩を
「ポンッ」と叩いた。

高校時代からの友人で、今でも数年に一度は当時の仲間たちと集まり、
酒を飲みながら(わたしはウーロン茶かジュースだが)情報交換しあう仲
のI君であった。
仕事の席で出会うのは初めてのことであった。

彼は、高校時代は、非常に歴史が得意で、どんなレベルの模試であって
も、必ず五指に入る実力の持ち主であった。

彼は、地元の有名私大に進学した。
就職活動は、人並みに行い、某都銀と地元の地方銀行に内定をもらい、
地元の地方銀行に就職した。
彼は、今その銀行のある支店の支店長を務めている。

某都銀は、銀行再編の荒波の中で、その行名は影も形もなくなった。
彼が身を置くその銀行は、地銀の中でもトップクラスの収益力を誇る超優良
企業である。

彼の高校時代の実力なら、早慶にも難なく入れたであろう。
都銀と地銀に合格すれば、都銀に就職したいと思うものではないか。

でも、彼はそうしなかった。

徹底的に地元にこだわりを持っているのか、単にマイペースだけなのかは
知らないが、わたしは、彼の生き方が羨ましく思う。

彼は、ヒトの目を気にすることなく、いつも自分がもつ基準で一番いいと思う
ものを選んでいるように見える。

わたしは、いつも「選ぶ」余裕がない場合が多く、選べたとしても、つい他人
の目を気にして「カッコイイ」方を選んできたような気がする。

いつか彼のように、どんなときも自分の基準でものごとを判断できるよう、
「悟り」を開きたいものだ。

みごとな感覚

Photo 三連休の最終日の夕方、6歳の娘と一緒に綺麗な夕焼けを
見ようと、近くの高台へ散歩に出かけた。

帰り道、まだ十分明るい夕暮れの中で、同じ町内に住む
Kおじいちゃんに出会った。

生まれた時から娘を知っているKおじいちゃんは、

  「また、背がたこう(高く)なったなあ!」

と、ニコニコしながら声をかけてくれた。

わたしたちは、

  「こんにちは」

と会釈して、そのまま通り過ぎた。

娘は、このおじいちゃんと日常頻繁に
~少なくとも週に1、2回は~
会うようであるが、その度に

  「たこう(高く)なったなあ!」

だそうである。

1週間か2週間のわずかな間に伸びた

  「ミリ単位」

あるいは

  「十分の一ミリ単位」

の娘の身長の違いがわかるのだから、大したものである。

「絶対音感」のあるヒトは、楽器の微妙な音の狂いが即座に
わかるそうであるが、Kおじいちゃんには

  「絶対身長感」

とでもいうようなものが備わっているらしい。

わたしには、残念ながら五感に関してそのようなものは一切
備わっておらず、

  「絶対鈍感」

のようである。

男たちの大和

1年以上もほったらかしにしていた「男たちの大和」のDVDを見た。

「お国のため」に死んでいく若者たちの純真無垢な直向きさに、日頃
の自らの体たらくを反省するばかり。あっという間の2時間半であった。

それはともかく、あの若者たちは、何のために命をかけて戦ったのか。

はっきりと言えることは、

 働き蜂が女王蜂を守るために外敵と戦うのとは全く違うということ・・・

 彼らは、ヒトが勝手にでっち上げた「幻想」を守るために戦わされた、
 ということ・・・

であろう。

ヒトは、他の生き物と違い、「個体保存」や「種の保存」という、生物と
して最も基本的な本能をどこかに忘れてしまい、後天的に築かれた
に過ぎない「自我」を守るために生きている。

だから、お国のため、とか
     会社のため、とか
     誇りのため、とか
     信念のため、とか
     面子のため、とか・・・
実体のない「幻想」を「自我」とし、その「自我」を守ろうと必死になる。

極端な場合は、命よりも、そのような幻想の方が大切であると「大いなる
勘違い」をして、他人や自らの命を絶つような場合もある。
~戦争も然り。先日終了したTVドラマ「華麗なる一族」もそうであった~

とかく、ドラマや小説では、「命を懸ける」ことが美談として描かれること
が多い。(その方が観客も感動できるので仕方ないが。)

「大和」の若者たちの、「故郷にいる家族や恋人を守るため」という極々
小さな部分を除き、他の大部分を占める「戦うための大義名分」が、実は

  幻想に過ぎない

ということを観客に知らしめるような映画ができないものかと思う。

ハケンの品格、正社員の品格

ひと月ほど前の水曜日、珍しく早く帰宅できたので、「ハケンの品格」
というTVドラマを見た。
篠原涼子扮する主人公のスーパーハケン(派遣)社員「大前春子」が、
頼りない正社員たちを尻目に、ばりばりと仕事をこなし、それがかえっ
て正社員の反感を買う。(残念ながら、その後この番組は見ていない。)

流行の「派遣社員」をテーマにしているところが新しいと言えば新しい。

このドラマのようにあからさまなことはないかもしれないが、派遣社員
がいる会社ならどこでも似たようなことがあるのではないか。

  なぜ、正社員は、派遣社員が活躍することがおもしろくないのか?

  なぜ、正社員は、女性派遣社員が男性社員からチヤホヤされることが
  面白くないのか?

  なぜ、正社員は「派遣社員に大事な仕事は任せられない」と言うのか?

これは、
正社員は、自分たちが難しい就職戦線を勝ち抜いた「勝者」だと思い込み、
だから、
正社員は、派遣社員よりも自分たちがワンランク「上」の身分だと思い込み、
だから、
正社員は、自分たちは会社に責任を持ち、派遣社員は責任を持っていない、
と勝手に思い込んでいるからである。

なぜ、そのように考えてしまうのか。
それは、昨年このブログの中(「特別扱い」)でも触れたが、ヒトは誰でも
「安定したい」という願望があり、そのことを常々確認しておきたいからで
ある。

   ~それが「本能」なのか、
     あるいは「無意識」の中にある「エス」なのか、
      あるいはほかの「何か」、なのかは知らない~

だから、「ハケン」が、正社員よりも、

  仕事が出来て「活躍」したり、

  男性社員から「チヤホヤ」されたり、

  (正社員よりも)大事な仕事を任せられたり

すると、「ハケン」よりも「上」の地位にあるはずの正社員の「安定感」が
脅かされる。

この「安定感の確認」は、会社内だけでなく、明確な、あるいは、微妙な
「社会的関係」の中で日常的に実行されている。
例えば、
  ゼネコンの社員が、下請け建設会社の社長をアゴで使ったり、

  大手流通業の若い社員が、自分の父親くらいの歳のベテラン職人に
  「売ってやってるんだ!」とばかりにアレコレ指図したり、

   M省の係長が、自分の机の横に丸いスを置いて、これまた自分の父親
  くらいの歳の学校の校長を座らせ、机に肩肘をつきながら話をしたり、

  少し話をしたことがあると言うだけで、誰でも知っている有名人を
  (本人がいないところで)「・・君は」とまるで十年来の友人である
  かの如く振る舞ってみたり、

    意味もなく、高価なブランド品で身を包んでみたり、
   ~本当の自分を隠すための鎧(よろい)を纏(まと)うかのように~

と、例を挙げれば枚挙に遑(いとま)がない。

このような、たわい無いことで「安定感の確認」をしているヒトたちは、
実は、他に自分に「安定感」をもたらせるようなモノを何も持ち合わせて
いないことが多い。

実は、わたしは出来る限り、このようなたわいの無いことで「安定感の確認」
をしないように心がけている。

もちろん、
自分が「他に安定感をもたらせるようなモノを何も持ち合わせていない」
ことを隠すためである。

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